埼玉県指定旧跡

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■上杉憲英墓(うえすぎのりふさはか)(国済寺) 

 深谷上杉氏は、14世紀後半ごろ、庁鼻和(こばなわ)(現国済寺)に城を構えた上杉憲英(のりふさ)に始まる。
 憲英は、上野国守護、蔵人大夫、奥州管領などをつとめ、川越の平一揆の討伐や上野国の新田一族の平定に活躍した。憲英は、応永11年(1404)に没し、憲英の墓が国済寺本堂の左手奥にあり、基礎に「国済寺殿憲英大宗常興大禅定門」と刻まれている。
 憲英の墓の手前には、深谷上杉氏一族の墓が並び、2代憲光、6代憲清の墓などがある。

■渋沢栄一生地(しぶさわえいいちせいち)

 後に「日本近代資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一は、天保11年(1840)、ここ血洗島に生まれた。
 栄一が生まれた家そのものは残されていないが、明治28年に栄一の妹夫婦の市郎・貞子によって建てられた主屋等が残され、現在、市の管理の下、旧渋沢邸「中の家」として公開している。

 

名称

員数

時代

所在地

所有者

概要

指定年月日

変更年月日

1 深谷城跡
(ふかやじょうせき)
1構 室町〜江戸 仲町・本住町・田谷 深谷市ほか

 

T13.3.31 指定替
S36.9.1

2

岡部藩陣屋跡
(おかべはんじんやあと)

 

江戸

岡部1201ほか

岡部自治会

幕末の兵学者で、わが国近代砲術の祖、高島秋帆が一時幽閉された。

S13.3.31

指定替
S36.9.1
名称変更
H8.3.19

3

榛沢六郎成清の供養塔
(はんざわろくろうなりきよのくようとう)

 

江戸

後榛沢437

後榛沢自治会

榛沢六郎は、元久2年(1205)二俣川で戦死。供養塔は、享保7年(1722)建立

T14.3.31

指定替
S38.8.27
4 上杉憲英墓
(うえすぎのりふさはか)
1基 室町 国済寺521 国済禅寺 宝篋印塔。応永11年銘 S10.3.31 指定替
S38.8.27
5 渋沢栄一生地
(しぶさわえいいちせいち)
  明治 血洗島247−2 深谷市

 

S26.3.31 指定替
S58.3.22

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