墓       碑

近藤勇の墓 深谷吉次の墓(秀吉の頃の人)
福島県北会津郡東山村天寧寺にある近藤勇の石碑。
正面に【家紋「丸に三引」、貫天院殿純忠誠義大居士】と刻まれ、側面には
 「慶応四戊辰四月二十五日 俗称 近藤勇藤原昌宣」と刻まれている。
深谷城主 上杉憲盛(深谷名では憲高)の長男 深谷吉次の為に没後 約200年後の
文化二年に深谷盛房(勘定奉行・大目付)が建てた墓碑。
日米和親条約は 大目付 深谷盛房の穏便政策の結果、結ばれました。 
勇は、天然理心流の近藤家(藤原の流派は不明)の養子になっているので、
藤原
の文字が入っている 
深谷は 本姓が藤原氏の為、上杉の文字を入れずに藤原を入れ、藤原吉次と記された。 

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