名字 |
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解説 |
諸国にこの地名ありて数流の氏(名字)を起こす。 国土基本地図に73ヶ所あり。 |
分派氏族 |
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1,加藤氏族 − − もと上加茂の神職なり、後、藤原姓に改むと。
家紋、梶葉、五七桐。寛政系譜に、山本民部丞道照(氏誉・
友仙・法眼、慶安幕臣)より系あり。
2,幕臣 − − 中野新三郎正為(猿楽者)、元禄時代、幕臣となりて、山本と
改む、家紋、丸に違鷹羽、七曜、
又、山本金左衛門正利(ェ永 幕臣)あり、家紋、五三桐、右巴
ェ政系譜に系あり。
3,北家閑院家流
4,藤原北家阿野流 − − 閑院流阿野実直の後裔、実顕の末子 勝忠、山本家を創む。
堂上家の一つにして、羽林家、新家たり。は
勝忠−実富−公尹−実覩−公達−実福−公弘−実城−実政−実庸 百七十五石 明治 子爵 |
5,山本院
6,茶師山本 − − 山城宇治にありて、幕府の茶師なり、今に名高き宇治茶は、
足利氏の初世、葛野郡栂尾の良種を移して、この地に栽たるに始
まり、遂に天下の名産たり。山本氏は元禄の頃より、幕府の命を
受け、世襲してその業を広む。元文三年、湯屋谷(宇治田原村)
に一種美食の煎茶を製するものあり。四世・嘉兵衛、これ
を賞味して奇品となし、天上天下一の銘を撰ぶ。天保六年、六世
嘉兵衛 、小倉村碾茶焙爐中に團珠を為すものを獲たり、香味絶
佳なり。即ち 新製玉之露と号し、世に弘む。これを玉露製の始
めと為す(地名辞書)と。
7,大和の山本 − − 山辺郡の豪族にあり、東里村大字深野に拠る。北畠晴具の臣・
山本外記の裔なり。
8,河内の
9,摂津の山本氏 − − 多くは清和源氏。Oの後裔にして、浪花及び矢田部郡の名族にあり。
西宮の人
典寿は狩野派の書家にして、如春斎と号す。
10,和泉の山本
11,熊野の
12,紀伊の山本 − − 有田郡北湊村 旧家
山本才兵衛は「参州室城主 室兵庫頭の
末葉にして、室兵庫頭の子・弥三郎は伯父 山本弥兵衛に養われ、
を以って氏とし、信康公に仕う。その子勘助は家康に仕え、
その子十太夫は、忠輝公に仕う。後 南龍公のお召によって、当国に来たり、
八百石を賜う。その子 才兵衛、病身にて仕を辞す、公 命じて村中
砂浜の地を賜う。即ち その地を開墾して世々住す」と。
13,荒木田姓
14,伊勢の
15,伊賀の山本
16,清和 − − 近江国の豪族にして、全国の山本氏は、多くこの裔と称す。
当国浅井郡山本より起こる。尊卑分脈に
「源 義光−相模介義業−遠江守義定(号 山本)−義経−義弘−義重」と。 |
17,六波羅家臣
18,幕臣源姓 − −O項の末流は、江戸幕臣に多く、ェ政系譜に二十七家あり。
家紋、鳥居笠木の上烏二羽内に石畳、丸に四石畳。
19,佐々木氏姓 − − 家紋、四目結、五三桐、吉田織部正 正重の門人、山本道句政勝
秀忠に仕う。その男「道味政春−善左衛門政守」なり。
20,宋族 − − − 家伝に「宋張李明の後裔にして、張氏なり。近江国の住人
桂元隆全昌・天文の頃、医を以って浅井下野守久政に仕う」と。
家紋 丸に梶葉、蝙蝠、杏葉牡丹。玄通宗孝に至り、江戸に下り
医を以って聞こえ、その男 逸之助三安(宗妙・宗洪)幕府に仕う。
21,近江の
22,美濃藤原姓山本 − −名細記に「大野郡岐礼村白倉明神社は山本中納言藤原
貞興の霊を祭る。後醍醐天皇、隠岐に遷されさせ給いし
時、貞興もここに配流せられ、建武元年、薨ず。その子
を山本判官貞元と云い、子孫 美濃にありて、山本を名乗る」とあり。
23,源姓間野氏族 − − 尾張の名族にして、、家譜に「山本冠者義経の胤・間野
與三右衛門邑弘(岩倉織田氏に仕う)−小六郎邑重(信長に
仕えに復す)−六右衛門邑次(家康に仕え、千五百石)。
家紋、二引龍、丸に二引、軸梅鉢」とあり。
24,菅原姓 − − K項室氏の裔 茂成を祖とす。家紋、三頭左巴、丸に山文字、
家記に「弥三郎茂成(本多百助信俊に属し山本を称す、後
家康
に仕う)−勘介茂春−十太夫茂房−九右衛門茂與−同茂則−越中
守茂明(千石)−十太夫茂親−八郎右衛門茂珍」と。
25,清和源氏吉見氏族 − −家紋、右三巴、櫂の丸、ェ政系譜に
「理兵衛政長
山本を称し、その男 忠兵衛知候、幕臣となり五百石を領す」と。
26,富永氏族
27,三河の − − 当国出生の幕臣は殆どO項の裔と伝え、ェ永・ェ政両系譜に
「山本冠者義重の胤・四兵衛正直(松平清康・広忠に仕う
)−九兵衛正継−四兵衛正吉−四兵衛正茂(子孫 六百石)。
家紋、鳥居笠木の上烏二羽内に石畳(ェ永系図には石畳に
鳥居上鳩二)、丸に四石畳」と。
28,駿河の
29,清和源氏吉野氏族 − − 有名なる勘助晴幸は、駿河の源氏吉野冠者の後と云う。
吉野冠者とは、鎮守府将軍源満政の裔、木田重賢の男
太郎重季・吉野冠者と号して、承久の乱に京方にあり。
富士郡山本村に吉野氏ありと云う。冠者の後胤
吉野
貞倫は、累世山本村に住し、八幡宮の神主なり。貞倫の
二男貞久に至り、今川氏に仕え、氏を改めて山本と云う。
家紋 三巴。文明十年戦死。その男圓書、その四男源助
貞幸、参州牛窪 牧野右馬允の家令 大林勘左衛門の養子
となり、勘助と改む。
江戸幕臣に勘助の裔と云うものありて、寛政系譜に
「初め牧野家に仕え、九郎兵衛正重に至り幕臣となる。
二百五十石。家紋 三頭巴、蛇目」と。
30,甲斐の山本
31,伊豆の
32,武蔵の山本 − − 多摩郡下恩方村のこの氏は、新編風土記に
「鍛冶山本内記康重、山本外記康照、山本左司馬国重の三家は、昔より
四町八段の除地を賜りて、世々 下原に住するにより、これを下原鍛冶と呼べり。
このほか、元八王子に住する山本藤五宗国、山本藤吾安国、山本長門照重の子孫の
三家も下原鍛冶と云えど、下原の名は当所より起りし唱なり。
ご入国の後、下原の鍛冶に千本の槍をうたせられしと云うも、当所及び八王子の
六家なりと云えり。共に相州正宗の伝を以って刀剣を製造せり」と。
33,清和源氏新田氏族
34,上総の
35,桓武平氏大掾氏族
36,両毛の
37,磐城岩代
38,結城家
39,清和源氏満政流− −越後系図に「家紋、四つ目、旗紋、紺地丸の内 抱茗荷
源 満政−忠重(山本刑部)−重実−重遠−重直−重満」と。
40,越後の
41,信濃の山本 − − 幕臣に「先祖信濃国。山本又助正縄(三河にて松平清康に
仕う)−又十郎縄義−與三兵衛縄次(家康に仕う)。家紋、丸に左巴」と云う。
又、幕末、松本の人、近藤茂左衛門の弟、山本貞一郎は
勤王家として、名高く、従四位を贈られる。
42,大内氏族 − − 流江安室記に「勝南郡百々村城主
山本與次郎」、同吉留村
庄屋に山本善兵衛、英田郡山外野村に「山本殿塚あり、当郡原村の人」と。
又、英田郡平の村庄屋に山本伊右衛門あり。
43,他
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