宮城県から北海道に移住した丹野(名字)さん

封内記 白鳥明神社條に「丹野。府城の地主、古来河内の鎮守也。貞山君、城地を経営する時、
今の地に移す。以来 深沢白鳥神社と称す。丹野某、嘗て之を崇信し、
君に請いて 修験 光明院をして別当たらしめ、祭田を寄付し、君も亦、三十三石の地を寄付す。
毎年 九月九日、今に丹野家 祭事にあたる」とあり。

出羽の金華山には 楠氏の子孫が潜居したことが懸誌堤要と云う古文書にあります。
以上のことからして 先祖が足利尊氏に破れ、東北に逃れ住み、宮城郡の河内や、丹野に移動し、
丹野に住した子孫が名字 丹野姓を名乗りました。

尚、貞山君とは 伊達政宗のことです。法名の「瑞巌寺殿貞山禅利大居士」に因みます。

菊水(菊に流水を配した紋)は 楠氏(南朝の忠臣)の代表紋です。

楠氏は 橘氏(菊水の紋)の支族です。よって その先は 敏達天皇です。

橘諸兄の二男 諸方の子孫が楠(名字)を名乗り、その子孫が東北に移住したと云う事です。

* 同じ名字 丹野を名乗っていても 家紋が違う丹野さんは 別のルーツで 諸国にある丹野の地名を以って

  丹野を名乗ったものと思われます。尚、河内(宮城郡発祥)で 菊水紋の河内さんは 丹野さん 同様、

  敏達天皇に遡る可能性が大であると云う事です。


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