真田幸村の後裔を探る
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この白石城主 片倉小十郎の子孫が何故、昭和17年に このような事実を明かしたのかと言うと やはり昭和の初期に出された
「仙台人名大辞書」の真田の項を見た時に「おや
これは事実と違う」と言う思いがあったので 仙台郷土研究と云う機関誌に掲載したのです。
これは何を意味しているかと言うと 大坂の陣から昭和17年迄の327年間、白石城主の片倉家では 代々
真田幸村の子を
保護したという事が伝わっていなかったという事です。
即ち、明治生まれの片倉信光氏の認識は、「仙台人名大辞書は違うよ」と云う事であり、上記系図にあるように
守信の親父は 幸村でなく政信だという事です。
これが昭和の中期以降に生まれた人が著わした本なら単なる説と解釈しますが、そうではなく
当の大坂の陣に参戦し、歴史を作ってきた片倉家の子孫が代々の記録を基に記したのだから確実性が違います。
平成・令和の時代になり、テレビ局等、次元の低い人が居ますが 何とお粗末な事か。
仙台人名大辞書の誤りを明治の人が指摘していたという事です。
幸村の子孫と称する者は 仙台人名大辞書を根拠にしていますが その辞書には 片倉小十郎が「篭二挺を出して、敵の大将の娘を保護した」とか
「阿梅ほか五子を云々」とありますが阿梅だけは白石で生きた記録は有りますが、五人の記録は有りません。
守信は 寬永時代に、阿梅が白石に居ると云う情報を得たので 白石に行ったのであって(伊達世臣家譜)夏の陣時に保護されたのではありません。
そもそも、死ぬか生きるかの戦の最中に大阪城を囲む味方の前で「篭で保護」など
有り得ません。
伊達 謀反で お家取り潰しの案件だからです。
仙台人名大辞書の真田の項は 幕末に出された 「こうデタラメだと一層面白い」と幸田露伴が評した講談本を基に書かれたものです。
よって、真田の項は デタラメなのです。
仙台真田家は その327年の間に数代 養子を取っており 住所も 菩提寺も変えており、言い伝えが定かでなくなっているという事です。
今の当主は 東京の杉並区に住んでいます。
だから 平成になって出版された「真田幸村の真実」と云う本の記述と真田本家の正史、片倉代々記、伊達世臣家譜、或いは
仙台叢書等の歴史書と
食い違いが多いのです。
こんなデタラメな本によって 貴重な古文書が 「もしかしたら古文書が間違っているのかも」と疑われ、古文書の価値を下げる事に繋がります。
デタラメな本を出して、国民を信用させ、印税を稼ぐ、これは 犯罪です。
現在東京の杉並区に住む人を幸村の子孫と信じる人は 「テレビ等で放送されたことだから本当なのだろう」と信じるのではなく、その根拠を掴む必要があります。
尚、大河ドラマで 幸村の家族が伊達政宗に保護されたシーンが放映されましたが それは フィクションと確定している事です。
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