宝島社「真田幸村の真実」と云う本の中身は 間違いが多い

 

「真田幸村の真実」と言う本の91ページには 幸村の「と 二男 大八が京都に隠れていた」と記されているが大八は亡くなっていて 居ないし、

妻の竹林院は 家康の手の者に捕縛されて 「家康の前に連行されて 詮議を受けた」のが真実です。この本の著者は ニセ者ですから言い伝えが間違っているのは当然です。

真田幸村の妻子 竹林院などが 捕らえられた時、二男 大八は 居なかったし、捕らえられた所は、京都ではなく、紀伊国(和歌山県)の伊都郡である。(九度山に向かっていたものと思われる)

この事は 超有名な人の息子であり 当時の歴史学者が記録した玉露叢と言う書物に書かれています

又、幸村の娘 阿梅 一人が片倉重綱に略奪されたのが 真実で、保護されたわけではない。阿梅は 自分が誰の子か 数年間話さなかった

そして、その後に 真田家遺臣・三井豊後(三井奉膳)等が 片倉氏と面会して、娘が 幸村の娘 阿梅と云う事が分り、1628年頃、重綱は 阿梅を後妻に向かえた。

その縁により、三井等が 片倉氏の家士になって そのまま 白石に居住したのです。ですから 夏の陣の直後に部隊に紛れ込んで白石に行ったのではありません

尚、先妻(指月院・綾姫)が亡くなったのは 1626年である。先妻がいるのに阿梅が後妻に入るはずがありません、この言い伝えも間違っています

この事は 片倉氏の正史 片倉代々記にハッキリ 先妻死後 と、載っていることです。宝島社の本は 真実とは 名ばかりである。

他人の家の言い伝えと、白石城主の片倉氏の記録と、どちらが正しいかは 明々白々である。


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