蔵王町のパンフレット(見開き)に間違い多し。

蔵王町作成の このパンフレットは 所々 間違いがあります。
片倉守信は 真田大八ではありません。別人です。守信の親父は 幸村ではなく、政信です。
江戸時代の伊達世臣家譜に記されている。よって、幸村の子孫は みちのくに 生きていません
真田家代々の書上でも 片倉沖の允(守信)の父は 幸村ではなく、真田内記(政信)となっており
伊達世臣家譜と 同じです。偽っているのは 大正・ 昭和・の子孫です。
古文書と違う部分は ウソで ごまかしています。

* 伊達世臣家譜の編纂は 1730年前後に始まったのですから 既に100年も前に 幸村は 人気者になっており 幸村の名を消す必要のない時代になっていました。

3ページ目の この部分は 伊達藩士 真田家の事ですので 本当のようです。 本物の采配は 福井県の市立郷土歴史博物館にあります。
幸村を打ち取った福井藩士 
西尾仁左衛門が持ち帰ったのです。
鎧もニセ物です。信州眞田の本家にも無いものが仙台にあるはずがありません。
刀も昭和30年代に出来た銃刀法による所持許可を宮城県警から得ていないので
平成時代に業者から買ったのでしょう

 

* 仙台真田氏の始祖 守信が幸村の子でない理由

* 昭和23年生まれの当主は デタラメな本も複数出していて 困ったものです。

      こんな常識を見落として よく まあ こんなデタラメな本を書いたと思います。
     本を書こうとする人は 念入りに史実を把握するものです、寬永時代以降は 「幸村は人気者になっていた」と云う史実を無視した、と言う事は
     人々を騙そうと言う策に小西(真田の旧友)も乗ったとしか 言いようがありません。
     よって 小西、真田作の本は 誤りやデタラメが多いと言う事です。

* 仙台真田氏の子孫は、「幸村の子孫」と称する理由を 昭和8年に出版された仙台大辞書のみを その根拠としていて 鎧や刀が幸村所用の証拠を何も出していません。
   その仙台大辞書は 明治の文豪 幸田露伴が「こうデタラメだと、いっそう おもしろい」と述べた 講談本を基に記されたので 誤りが記されている事は 言うまでも有りません。
   仙台人名大辞書真田の項のデタラメの理由へ

* 真田幸村の南蛮鎧が偽物である理由

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