伊達政宗との密約は 無かった

 

2,016年の1月8日、T 真田さんにメールで質問した内容 及びそのご回答。

核心部分のみ記します


宝島社発行で 貴殿監修の「真田幸村の真実」と言う本の中で「幸村が家康を亡き者にしてくれるなら
幸村の子供たちを引き取り育てよう、との密約があったのだ」と記されています。
それは 何かの間違いではないでしょうか。

夏の陣 当時の状況は「1605年には秀忠が将軍となっており、家康が亡くなっても幕府は続くので、伊達の天下は考えられない。

そんな 密 約 をする理由も無かったものと思う。

また、伊達は、半年前の冬の陣の功により、伊予宇和島 10万石を家康から貰っており、政宗の二男 忠宗に秀忠の娘・振姫を妻とする話が持ち上がっていた。

家康とは伊達家は うまく行っていたので この点からも密約は 有り得ない」。

「普通の家族の言い伝え」の方法は 親父、或いは 祖父が 子や孫に言い伝える事によって正確に伝わります。
しかし、幸村の場合は 戦場にいる。長男の大助でさえも 城の中である、ましてや敵の大将と密約など出来るわけがありません。
又、その密約の内容は 密約なので 誰も分らないのは 当然ですが、その密約があったと伝わっていること自体がデタラメです。
幸村、大助、大八は 死んでおり、誰が貴殿の先祖としている守信に伝えたのでしょうか。
守信と大八は 別人なのです」と。


以上のような質問をしたら T さんは、応えることが出来ず

「とんだいいがかりとしか思えません。失礼にも程があります。以後、メール等はお断りします。真田」と。

 

* 真田幸村の本当の子孫なら 堂々と回答出来るものです。 

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