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渋沢栄一の生まれ故郷 埼玉県の深谷市には、栄一縁の旧渋沢邸「中の家」があります。

また、栄一が江戸に出る直前に 活躍していたのは 日米和親条約の立役者 大目付の深谷盛房です。

盛房の先祖は 深谷上杉氏であり、深谷市にある その墓は 埼玉県及び深谷市の指定文化財史跡となっております。

深谷庄に 14世紀末に上杉憲英が深谷城(廳鼻和)を築き、奥州管領(陸奥守)となり、北関東の安寧の為に尽力した。

以来 約200年間 関東管領の上杉の分家として 深谷城に居城したので 城下町として栄え、当時の東日本では 鎌倉に次ぐ
賑わいを見せた。勿論、徳川時代は 江戸が日本一 賑わった事は 皆の知るところです。

その後、江戸時代の初め岡部藩の安部氏が約200年間治めたので 深谷の町は宿場町として栄えた。

明治になり、江戸が東京となり、東京駅も出来ました。その東京駅の煉瓦は、深谷市で出来たものです。

平成8年に完成した深谷駅が東京駅に似ているのは 深谷産の煉瓦を使用して 東京駅を模したからです。

明治 大正の出来事は ドラマの中で明らかになる事でしょう。

尚、渋沢栄一が生まれた村は 現在の深谷駅の北東 約 5キロの血洗島村です。

 

渋沢栄一(1840~1931年)、天保11年から明治、大正、昭和(6年)を生きた、資本主義の父

現在の埼玉県深谷市に生まれる。村の富農の子として生れ、慶応3年幕府の遣外使節に随行、

ヨーロッパを視察。帰国後、日本最初の商事会社を静岡に設立。一時 大蔵省に勤めたが

退官後 実業界で活躍。第一国立銀行(第一銀行)、王子製紙、大坂紡績、日本郵船などを設立。

財界に指導的役割を果たした。以下は 栄一関連の年譜。

西暦 和暦 年齢           出来事
1838 天保9   大隈重信、山縣有朋 生まれる。
1840 天保11 0 2月13日に武蔵国の血洗島村に生まれる。富農 渋沢市郎右衛門、母 エイの3男.
      アヘン戦争(1840~1842)、清国、イギリスに香港を割譲。
1841 天保12   伊藤博文 生まれる。
1845 弘化2 5 父より漢文の素読を学ぶ
1847   〃  4 7 この頃に従兄の尾高惇忠(あつただ)に師事し 漢籍、日本の古典を学び始める。
1853 嘉永6 13 初めて一人で藍の買い付けに行く。
1853 嘉永6年6月   ペリー来航
1854  〃 7年3月3日   日米和親条約の締結
  〃 〃7=安政元年 14 家業の畑作、養蚕、藍問屋業に本格的に取り組む。
1856 安政 3 16 領主への御用金 上納の件で幕府の体制に対して強い不満を抱く。
1858   〃  5   日米修好通商条約・安政の大獄
   〃       〃 18 従妹(尾高惇忠の妹) 尾高ちよ と結婚

                 渋沢栄一の人世    ・  3  ・ 

 

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