当信寺

白石市の当信寺

大正14年に出版された この白石町誌には この時 既にあった片倉守信の墓を 真田大八とは していなかったので、「大八の墓有り」とは 記していないことがわかる。
真田大八の墓があるのなら、娘の事が記されているように息子・大八の事も当然記されるものである。記されてないと云う事は 「大八は眠っていない」と言うことです。

この時は 阿梅の墓と片倉守信の墓は 離れた別の所に有りました。戦後の昭和55年頃、「阿梅の墓」との案内の円柱が 立てられました。

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